くつしたと共に生きる幸せ (祖父江慎さん)

創り出すことを生業にしている人に共通していることは、感度の鋭さである。それを目の当たりにして、価値観が大きく変わる瞬間を感じた。
発する一言一言に奥深さがあり改めて「生きる喜び」を考えさせてくれるアートディレクターの祖父江慎さん。彼との会話からくつしたが与えてくれる幸せとは何なのか、答えが見えてきたような気がする。

アートディレクター 祖父江慎さん

とにかく、くつしたが好き。祖父江さんと会話をしていると、そのくつした愛には圧倒される。常にリラックスした状態を保つ姿から「靴が苦手なんです」という一言にも、なんとなく納得ができる。

私たち人間にとって“足”は基本だと教えてくれる祖父江さん。ではなぜ靴ではなく、くつしたなのか。それはこの地球で生きてく上でしっかりと大地を感じていたいから。靴のように硬くて足を拘束しているものでは大地と分かち合えない。しかも裸足だと落ち着かないし、物足りない。(それは下着を履き忘れる、というのに近い感覚だと言う。)

くつしたという一枚が足と地面の間に入っているからこそ、心穏やかに地球とのコミュニケーションが成り立っている、というのが祖父江さんの考えである。
そしてくつしたであるからこそ触覚を大事にできる、という発言には、普段私たちが意識できていない細やかなことまで受け取れる彼ならではの感覚だな、と思った。

デコボコなのかな?平なのかな?板かな?モルタルかな?
そう思いながら、手の触覚を目指して、足の感覚に意識を寄せているのだそう。

TV番組の収録中、展示会の施工中、取引先との打ち合わせ中であっても、靴をサッと抜いて、くつした状態になるのは、彼のお決まりのスタイルだ。
「外でもそのまま出ちゃう。雨の日なんかはそのまま足跡が残るから、どこを通ったかわかっちゃうよね、フフフ。」
インタビューの日も(小雨の日だった)、足跡を残しながら歩いてくれた。

不完全さの美しさを追求している祖父江さんにとって、片足だけ脱ぐこと(通称:片っぽ履き)もささやかな喜びなのだとか。

「そもそも左右対称にするというのは閉じ込める行為であって、バランスを壊すことが生命の本質。穴の開いたくつしたを履くということも、実は「元気に生きたい」という思いだったりするのかも。ほら、長靴下のピッピも、左右違うくつしたを履いている前向きな女の子でしょう?」

くつしたは左右が揃って初めて「1足」になる。その2つを常に同じように履くことが正解である、という一種の思い込みを私たちは抱いているけれど、祖父江さんのお話を聞いているとその常識とは異なる次元にくつしたが与えてくれる幸せがあるのだと初めて理解できた。

生活の中で片足を無くしたり、穴を開けてしまったり、左右異なるものを履いてしまったり。左右非対称になってしまうことも、人間にとって必然であるということだ。
祖父江さんが普段愛用している靴下は大凡が黒色。そして、たいていは左右両足が揃っていないものを履いているそうだ。

奥深い祖父江さんのくつした話。こんなちいさなくつしたが私たちに与えてくれる幸せは計り知れないんだな、と感じた。


★ナイガイの100周年を記念して、祖父江さんがくつしたとコラボレーション!次回の記事にてご紹介。

アートディレクター、グラフィックデザイナー
祖父江慎さん

1959年、愛知県生まれ。有限会社コズフィッシュ代表。
文字や素材に対する並はずれた「うっとり力」をもって、日本のブックデザインの最前線で活躍。大切にしている言葉は「うまくいかないよろこび」。現在は展覧会の会場構成や告知、グッズのデザインに力をいれている。過去の仕事をまとめた『祖父江慎+コズフィッシュ』(パイ インターナショナル刊)発売中。AGI、TDC会員

※掲載内容は、すべて記事掲載当時の情報となります。

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