川上から川下までを想像する(柿坪英樹さん)

「良いものは作れば売れる」そんな時代が終わった今、まさに現場で川上から川下までを肌で感じてきた人がいた。なかなか、ここまで広範囲を経験しているくつした職人はいないのでは。

株式会社兵庫センイ・ソックス 代表取締役社長
柿坪英樹さん


祖父の代から続く靴下工場を子供の頃から見ていた。物心がついた頃には、「いつか自分もここで働くのかなと、思っていた」と言う。

今回のインタビューにあたり、工場の歴史を聞かせてほしい、と事前にお願いをしておいたら、今では相談役でもある父親の隆司さんを呼んでいてくれていた。
(工場に関する記事はこちら)
父親への敬意を忘れずに、ひとつひとつの質問に丁寧に、時々冗談を交えながら話してくれる言葉の端々から、若くして社長の座についたにも関わらず、謙虚で誠実な人柄であると感じた。

今でこそ3代目という立場であるが、最初から親元にいたわけではない。親の会社に入る前に株式会社ナイガイ 大阪支店へ入社し、営業という立場で関西の百貨店を担当していた時代があったそうだ。

「初めて大阪へ出て一人暮らしをしました。それまでずっと加古川にいたわけで、僕の人生の中で、それはとても大きい経験でしたね」

入社の三ヶ月前には阪神大震災もあり、きっと精神的にタフにならざるを得ない環境もあったのだろう。しかし、その頃の話を笑顔で話す姿はその苦労を経験したからこその余裕なのかもしれない。
「くつしたをプレゼントにすることって多いでしょ。百貨店のレジで接客すると、繁忙期は尋常じゃない量の包装をこなしたりするんですよ。その甲斐あって、今でも会社で一番包むの上手ですから(笑)。」
高品質の日本製くつしたを作る身として、くつしたの履き心地にこだわらない人がいることがとても残念だという。
今では海外製の安いくつしたも多く流通している時代で、ただ単純に質の高さだけを求めても生き残れない、という彼の思いから、新たなチャレンジも視野に入れている。見せてくれたのは、つま先と足底がメッシュ状態になっているくつしただった。
より通気性の高いものを求めてできたアイディアの一品。
「ムレ対策に、と思ってこの商品を作ってみたところ、お客様からも高評価をいただけてリピートして購入してくださる方もいます。もちろん意匠登録もしました。今は販売先が限定されていますが、ゆくゆくはこういう新しい商品を自社のホームページを作ってオンライン上で販売したりすることにもチャレンジしてみたいですね。」

さすが、商品を作り上げる川上から、実際に売り場という現場までの川下を見てきた経験があるからこそ、お悩み解決型の商品を作ってそれを必要としている人へ届けるストーリーを組み立てている。

謙虚に話をしつつ、彼の内の中に広がる熱意の塊でもある新たな思い。祖父や親から受け継いできたものに加えどんな成長を遂げていくのか、今から楽しみである。

株式会社兵庫センイ・ソックス 代表取締役社長
柿坪英樹さん

3代目の代表として、約80名の従業員を束ねている。
プライベートでは4人の息子(!)を育てる父親でもある。最近は、一番下の小学6年生の息子さんとお城めぐりで長距離ドライブを楽しんでいるそう。


※掲載内容は、すべて記事掲載当時の情報となります。

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