くつしたの過去に触れたい人へ(靴下博物館)

くつしたの歴史について考えたことはあるだろうか。
そもそもくつしたは西洋のもので、日本へ伝来したのは16〜17世紀だと言われている。着物文化だった日本が、徐々に洋装化され、足を守るものが足袋からくつしたへと変わっていった。
(「日本へのメリヤスの伝来」はこちら )

日本国内でのくつしたの歴史は決して長くはないものの、しかし国内で作られるようになってからは100年以上経過しており、その中で技術の発展や社会的な背景を踏まえて、くつしたそのものも変化を遂げてきた。

実はそんなくつしたの歴史を振り返ることができる「靴下博物館」がナイガイの中にあるのだ。
さらにその博物館の誕生について言うと、1978年に神奈川県横浜市に「坂田記念資料室」という名で、ナイガイの工場内に設置をされたのが最初である。

ナイガイの専務取締役だった坂田信正(1924年に入社)が収集したくつしたを展示したことが始まりである。彼は自社のくつしただけではなく、ニット製品全般に関するものを全世界から集めたそう。この資料室でくつしたを約2万点、図書を約750冊、編み機を7台ほど保管されることになり、「靴下博物館」として事前予約制で一般公開も行なっていた。
しかし工場の閉鎖に伴い、規模を縮小させてナイガイ本社内に移設させて現在に至っている。
残念ながら関係者以外の立ち入りができない場所となってしまったが、そこに陳列されているくつした達はどれも大変興味深いものばかりだ。

今では作ることのできないビキューナを素材に使った超高級くつした(3足で10万円(!)で販売されていたそう)や、戦時中の軍隊のために作られたもの、そして著名人からオーダーを受けて作ったものなど、触れることすら恐れ多いものばかりである。

この日は、館長を務める土屋執行役員に話を聴きながら撮影を行った。特に水戸黄門の愛称で知られている水戸光圀公が履いていたと言われるくつしたのレプリカは、今でも問い合わせが多いものだそう。
また、古い編み機は、手で回すことで実際の編みを見ることができる。今ではオートメーション化された機械でくつしたを製造しているため、このような形で針の部分を間近で見ることは難しい。
ナイガイのホームページ内でも、くつしたの歴史や、今では考えられないような面白いくつしたを紹介しているので、ぜひこちらもご覧いただきたい。

「せっかくこんな素晴らしいものを持っているのだから一般公開して欲しい」
そんなリクエストも日々寄せられている。その希望に応えられるように、どうやってこの靴下博物館を、くつしたの過去を表現しようか、検討を始めている。あなたがこの歴史を背負ったくつした達を間近でご覧になれる日も、そう遠くはないかもしれない。

※掲載内容は、記事掲載当時の情報となります。

≪ 「くつしたと私。」トップへ