クリスマスのプレゼントをくつしたに入れる理由

今年もクリスマスが近づいてきた。
イルミネーションやウィンドウのディスプレイで街全体が華やかな景色に変わり、一年の終わりを誰もが感じるようになる。
家の中ではクリスマスツリーを出して、アドベントカレンダーで毎日カウントダウンを楽しんだり、せっかくだからあそこのオードブルを取り寄せしようか、なんて今年ならではのクリスマスを考えたりしている人もいるだろう。

ところで子供のころ、クリスマスイブにくつしたを枕元に置いてプレゼントが来るのを楽しみにしていた、そんな人も少なくないのではないだろうか。
しかし、よく考えればサンタクロースも小さなくつしたにプレゼントを入れるのは大変かもしれない。

ではなぜクリスマスのプレゼントをくつしたの中に入れるようになったのだろうか。

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この謎を解くためには、まず、サンタクロースのモデルになった聖人ニクラウスのことを知る必要がある。

聖ニクラウスは、4世紀、ミュラの町に実在した東方教会の司祭だった。伝説によると、彼はたいへん慈悲深く、子供が大好きで、多くの奇跡を行って貧しい人たちを助けたという。様々な言い伝えの中で、後世、クリスマスプレゼントの習慣と結びついたのは、貧しい3人の娘を助けたお話-
 ある一家が、あまりの生活の苦しさに、娘3人を過酷な仕事に出そうとしていた話を聞きつけた聖ニクラウスは、その一家にたいそう同情し、夜中に煙突から、娘たちへの贈り物として金貨を次々に投げ込んでやった。すると金貨は、乾かすために暖炉に干しておいた、くつしたの中に、たまたま入り込んだ。翌朝、一家はくつしたの中の金貨に驚きの声をあげたことはいうまでもない。
出典:荒俣宏 著作・監修「THE BOOK OF SOCKS AND STOCKING」(日本靴下協会, 1993年)より

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優しさと偶然から生まれたこの奇跡が、今でもクリスマスの風習となっているのだ。

これまで、くつしたをモチーフにしたクリスマスのオーナメントを見ても違和感なく受け止めていたし、「クリスマスだからくつしたを枕元に置いておきなさい」なんて子供の頃に誰からも言われたこともないのにそうしようと思ってしまっていたのは、絵本や映画などどこかで見たクリスマスのシーンから刷り込まれた光景の一部なのだろう。

そして、それが当たり前になっているのも「くつした」があたたかさや愛情の象徴だからこそ、なのである。靴ではなく、帽子でもなく、いつもあなたの足元を柔らかく包み込んでくれるもの(そして昔は手間をかけて手編みで作られていたもの)だからこそ、人が誰かを癒したい、助けたいという気持ちを凝縮した存在がくつしたなのだ。だから、このクリスマスの習慣が何百年も受け継がれ、否定されることなく今日まで続いてきたような気がする。

そう考えると、やはりくつしたとはただの日用品ではなく、人の心を揺さぶるような深い無性の愛を持った存在なのだな、と思う。聖ニクラウスが投げ入れた金貨がくつしたに入りこんだのは、たまたまではなく、もしかすると神様のいたずらだったのかもしれない。

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