つくる楽しさ、優しさ、あたたかさも受け継ぐ (野瀬幸司さん)

「日本一のくつした生産量を誇る、奈良県の靴下の町、広陵町で生まれ育ちました。子どもの頃は、軽トラックでくつしたを運んでいる姿をよく見ていました。」
幼いころからの記憶にくつしたの存在が生活に溶け込んでいる。そんな彼が手掛けるくつしたづくりを見て、日本のものづくりの魅力を改めて感じさせられた。

株式会社野瀬ソックシステム 代表取締役
野瀬幸司さん


大学を出てすぐに、以前にコラムでも紹介した旭ソックス株式会社へ入社。夜勤もこなし、くつしたづくりの下積みがここからスタートしたそうだが、「子どものときの遊び場」もこの工場だった。それもそのはず、旭ソックス株式会社の創業者と野瀬さんのお祖父さんが兄弟だったのだ。

入社してから1年後に分社化、野瀬さんの父親であり現会長でもある悦弘さんが社長となり、二人三脚で会社を回していくことになったそう。会社を任せられるようになってから、ものづくりをするだけではなく、経営者としても日々奮闘している。

「父親から『常に新しいことをしろ』と教えられてきました。設備投資を惜しまずに
行い良いものづくりのための創意工夫を続けています。」
性格なのか?経験値なのか?一緒に時間を過ごすと、細かいことに気を配ることができる人だとわかる。工場内を歩いていると些細なことにも気が付き、そこにいるスタッフへ指示を出す姿を何度も目にする。
「マルチ?そうかな、現場にいたからね。発見というよりも目につくから。」

呼吸をするのと同じくらい自然に、工場の中が円滑に稼動するよう指示をだす。決して高圧的なものではなく、そこにいるスタッフも笑顔でそれを聞き入れたりきちんと状況を説明したりしていて、風通しの良さを感じた。

「従業員が創意工夫をして仕事に取り組んで欲しいと思って接しているから、伸び伸び仕事がやれているのかもね(笑)」

こうした人への接し方も父親から学んだ。人との信頼関係を築くことを大切にした結果、 くつしたづくりの品質を保つことに繋がっているのかもしれない。
1955年からナイガイで販売しているハマグリパイルソックスも、現在は野瀬さんが手掛けている。機械を改造して、廃盤となったミシンにメンテナンスを加えながら、年間を通して作り続けてくれている様子を見るとただ量産しているのではなく、1足1足に命を吹き込んでいるように感じた。

このくつしたの魅力である、あたたかさと高品質を現在まで受け継いできてくれているのだが、こうやって大事に作られている姿を見るとくつしたが本当に幸せそうに見えてくる。
「今日、会長も来ていますのでご紹介しますね。」

そんな野瀬さんを、職人として、経営者として育ててきた父・会長の悦弘さんともせっかくなので写真を撮らせてもらった。ふたりともいい笑顔。

先代から教えられたことが純粋なくつしたづくりへの想いを育み、人や機械、全てのものに対して愛情を持つことを当たり前のように過ごしている姿に、ぶれない強さを感じさせられた。

株式会社野瀬ソックシステム 代表取締役
野瀬幸司さん

2008年より2代目として就任。
実は子どもの頃から動物大好き!3人のお子さんも大きくなり、今では奥様と4歳の犬との時間を楽しんでいるそう。


※掲載内容は、すべて記事掲載当時の情報となります。

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